「様子を見ましょう」で終わらせたくない外見の悩みと医療のはざま

千尋です。今回は、外見の違いに対して「様子を見ましょう」としか言えなかった後悔を書きます。

医療現場で使われる“定型句”

「様子を見ましょう」

この言葉は、私がこれまでに働いてきた医療現場でも、たびたび使われてきました。

病状が安定していて、すぐに手術や治療が必要でないと判断されたとき、
経過を観察する意味でこの言葉が使われることがあります。

それ自体は妥当な判断であることも多いのですが、私はその言葉を伝えたあと、患者さんやご家族の表情が曇る瞬間を、何度も見てきました。

“様子を見る”間に、誰かの心が深く傷ついているかもしれない

先天的に指が短い、耳の形が通常と異なる、小さな変形がある——
そのような「見た目」に関する悩みは、医学的には「緊急性がない」と判断されがちです。

でも、ご家族、とくに保護者の方にとっては、日々の視線や周囲の反応が、想像以上のストレスになります。

「様子を見る」ということは、医療側が“判断を保留する”という立場である一方で、
その間、悩みの当事者が抱える“痛み”には、正面から応えていないこともあります。

私もかつて、指の形成不全をもつお子さんの親御さんに、「今は経過観察でいいでしょう」とお伝えしたことがあります。

そのときの、お母さんの少しうつむいた表情が、今でも忘れられません。

本人の気持ちと向き合えないままになっていないか

「様子を見ましょう」は、正しい判断のようでいて、“医療としてのアクションはとらない”という宣言でもあります。

本当は、もう少し時間をかけてお話を聞きたい。
でも、圧迫されている現場では、一人ひとりにかけられる時間がどうしても限られてしまいます。

診察や処置の合間に、ほんの数分でも必要な説明を伝えるのが精一杯。
そんな状況の中で、「それ以上の何か」を届けられずに終わることもありました。

でも、その“何か”が、本当は一番必要だったのかもしれません。

私は今になって、あのとき「放置された」と感じたかもしれない気持ちに、もっと想像力を持つべきだったと思っています。

治療ではなくても、寄り添うことはできる。
声をかけること、話を聞くこと、別の支援の存在を伝えること。

それをしていれば、あのときのお母さんの表情も、少し違っていたのかもしれません。

支援の選択肢を「医療の外」にも見つけていく

私はエピテーゼ(エピテ®)という存在に出会って、「今すぐ医療的介入ができなくても、できることはある」と実感しました。

見た目の悩みを抱える方が、少しでも前を向けるようなサポートが、医療の外に存在すること。

それを伝えることも、医療の一員としてできることのひとつではないか——
今は、そう感じています。

医療の中で支援しきれない悩みに向き合う「エピテーゼ(エピテ®)」について

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▶ 日本エピテーゼ協会とは?(はじめての方へ)
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【こんな方におすすめ】

✅ 自分の経験を活かしたい
✅ 子育てや介護がひと段落し、新しい働き方を探している
✅ 人の見た目・心に寄り添う仕事に興味がある

一般社団法人日本エピテーゼ協会は、エピテスクール(協会直営のスクール)を通じて、エピテーゼを学びたい方に向けた各種講座や、協会認定資格が取得できるカリキュラムを提供しています。

エピテーゼ(エピテ®)とは、事故や病気、生まれつきの理由などで体の一部を失った方の“見た目”を補う装具(そうぐ)です。
義手や義足のように動かすためのものではなく、美容整形のように手術をするものでもなく、見た目に特化した“心を支えるケア”です。

千尋(ちひろ)

看護の現場では、外科的な治療で体の状態は整っても、それだけでは癒えない「心の痛み」や、見た目の喪失感に向き合う場面が多くありました。医療の枠を超えた支えが必要だと感じていた頃、エピテーゼ(エピテ®)という新しい選択肢に出会いました。「もっと広がるべき支援だ」と感じたことをきっかけに、伝える活動を始めました。
35歳・看護婦(パート勤務)・独身

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